花束「輪ゴム」の活用

フラワーアレンジメントの中で、お花を束ねるために使われるラフィアは、茎を傷める心配が少なく、水に濡れても大変丈夫な天然素材から出来ています。ラフィアがなくとも、輪ゴムなどで対応は出来ますが、ラフィアは、アレンジメントの際にあると大変便利な道具になります。輪ゴムを使うフラワーアーティストは、実は結構多いようで、輪ゴムを使った プロの結び方などもあるようです。輪ゴムは手に入れやすく、本数も多く使えるため、強度を必要とするアレンジメントなどでは、大変便利な道具となります。最近は、カラーゴムなども出てますので、一般的な輪ゴムの色が気になるような場合は、茎と同化するような目立たないカラーゴムを使用することも良いかもしれませんね。アレンジメントとして、花束を作る場合 ラフィアやゴムなどで一度縛ったら、ちょうど良いところでハサミなので茎を切り揃えるということが一般的です。花束は、ご自宅でも簡単に行えるアレンジメントですので、チャレンジしてみてくださいね。

華道に目覚めた理由

私の知り合いの華道家が育った環境は昭和の東京だったそうです。新しい時代のファミリースタイルが確立されてきた良き時代とでもいいますか。一戸建ての分譲住宅に住んでいました。ですから割とのびのび育てられたのだとか。その方は幼稚園や教会の日曜学校でお芝居をすることが大好きで、とにかく演劇的なものが好きでした。だから大学も某有名大学の演劇科ということになったのだそうです。歌好きの母の影響か、演劇好きは親のDNAを受け継いでいると思っているそうです。築地小劇場の話を母から聞くと子供なりにワクワクしたのだとか。ところでその方の家では母が紙芝居を子供たちにさせていたそうです。その方は四女の末っ子で姉たち3人はものすごく絵がうまい。絵が描けることに畏れの念といいますか羨ましさが先に立って、自然と絵を描くことよりお話を書いて、読む役目になったそうです。抽象画家のF氏が机に置いてある絵筆と毒薬どちらかを選びなさいという話に毒薬を選んだって聞いて嬉しく思ったくらいだそうです。そのくらい絵を描くことには抵抗感があったとか。中学校での美術の先生との出会いは本当に救われたそうです。美術の授業中は神宮の菖蒲の咲く頃などを勝手に調べて学校の写生旅行中はその先生と美術のお話ばかりをしていたのを覚えているそうです。先生とのお話の中で有名な画家たちのことを学んだとかで、今の先生にはなかなかいないタイプの先生だったと語ります。その後も学生時代ではあまり美術系において壁を感じたことはないままだったそうです。就職先はすぐには見つかりませんでしたが。就職活動を地道に進めていく上で幸いにもアートディレクターの方が秘書に雇い入れてくださり、そのスタジオが最初の職場。写真やイラストレーションに憧れアーティスティックなエディトリアル、そして華道に出会いました。華道というのは日本古来の花の芸術であり、それまで親しんでいた美術に通じるものを感じ取ったのです。

任されることの意味合い

匠は企業をまかされてからも先鋭的な事柄や、もちろん面白みを各所に散りばめた活動や商売をしてきました。

その動き方自体普通のではないのだろうが、なぜそんな精力的に動き回れたのかというところも聞いてみました。匠は先代の娘さんを妻にしたわけですがそのことが良い意味での責任感になりそれがガソリンになって動き続けられたのではないかと少し照れ臭そうにしながらも語ってくれました。

自分のために動き回るのも、もちろん大事だし自分の空間自体を広げる行為なので基本的な部分ではあるが人はやはり他人のために何か動くと力が何倍にもなるのかもしれないと思います。

まさにエンタメもその事を体現しています。

他人があるから自分以外が存在するからそこにエンタメが存在する。

そこに緩急がつくからコントラストが生まれるからエンタメというジャンルは好まれつづいていくと考えています。ある種の愛情のようなものかもしれません。

そう考えると自分の妻のために必死で働いたり家族のためになればと最善を尽くす事に確実につながりそこを大切にるからこそ、大切にできるからこそ笑いを生み出せるのではないかという感情が私の中にも湧き上がりました。

他を思いやることが、自他認める豊かさに通じていく。

そしてそれが世の中を良くしていきひいては長い目で見ればみなが暮らしやすいこの世の中を作っていくのではないかと強く思います。そのなかでデザインや演出とは大きな意味を持ち多種多様な関係性がある中適材適所を考えるということに結びついていると深く思います。

今の現実をよりよい世界にするための大きなヒントがここにあるのではないかなとあるしゅの発見にも似た感覚で思考を巡らせております。

関係しあえる仲間

関係性とは面白いものであると思います。刺激しあえる仲間が人生においてあるかないか、いるかいないかでは人生の豊かさが大きく違う豊かさどころか歩んでいく筋道の険しさや楽しさ、道幅の広さや起伏などにも大きく関係してくる事柄であえると思ういます。その良い関係性をもった人間が、例えば親類関係や遠縁関係もしくは、いとこや遊びあえる近しい関係の中にあったならばそれは、その時点で大分幸せな状況であると言えると思います。切磋琢磨という言葉がありますがまさにそのことを体現していく人生だと思います。華道におけるデザインや演出とは彩や味わいを付け加えていくことにも似ています。むしろそのものだといってもよいくらいであります。笑いは人生の中で大事な喜怒哀楽の一つでありますし、何事があっても笑って過ごしていけるのであればそれは幸せということができるかもしれません。そんな笑いを演出する中にもデザインは生きています。笑いをさらに昇華させるためにもデザインで笑いや遊び心を活かさなければならないとも思います。笑いはエネルギーそのものの一つで万人にわかりやすい形のエネルギーの最大のものであると思います。その笑いを生業にする事柄もデザイン抜きには語れない歩めない壮大な人生の物語があると考えています。笑うとは、笑いとは緩急であるといった芸人さんがおります。その芸人さんのオリジナルな言い回しというよりも、笑いの本質は」そのい「緩急」なのではないかとも思います。ものごとのコントラストが緩急であるわけで静かなところで物音がすればみんな注目する。それが普通の事であるし、私たちに本来備わっている反応や心理からくる極々人間的な思いや行動なのであろうと思います。これをどうにか華道に活かせないものか……それは、私の課題の1つなのです。