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華道に目覚めた理由

私の知り合いの華道家が育った環境は昭和の東京だったそうです。新しい時代のファミリースタイルが確立されてきた良き時代とでもいいますか。一戸建ての分譲住宅に住んでいました。ですから割とのびのび育てられたのだとか。その方は幼稚園や教会の日曜学校でお芝居をすることが大好きで、とにかく演劇的なものが好きでした。だから大学も某有名大学の演劇科ということになったのだそうです。歌好きの母の影響か、演劇好きは親のDNAを受け継いでいると思っているそうです。築地小劇場の話を母から聞くと子供なりにワクワクしたのだとか。ところでその方の家では母が紙芝居を子供たちにさせていたそうです。その方は四女の末っ子で姉たち3人はものすごく絵がうまい。絵が描けることに畏れの念といいますか羨ましさが先に立って、自然と絵を描くことよりお話を書いて、読む役目になったそうです。抽象画家のF氏が机に置いてある絵筆と毒薬どちらかを選びなさいという話に毒薬を選んだって聞いて嬉しく思ったくらいだそうです。そのくらい絵を描くことには抵抗感があったとか。中学校での美術の先生との出会いは本当に救われたそうです。美術の授業中は神宮の菖蒲の咲く頃などを勝手に調べて学校の写生旅行中はその先生と美術のお話ばかりをしていたのを覚えているそうです。先生とのお話の中で有名な画家たちのことを学んだとかで、今の先生にはなかなかいないタイプの先生だったと語ります。その後も学生時代ではあまり美術系において壁を感じたことはないままだったそうです。就職先はすぐには見つかりませんでしたが。就職活動を地道に進めていく上で幸いにもアートディレクターの方が秘書に雇い入れてくださり、そのスタジオが最初の職場。写真やイラストレーションに憧れアーティスティックなエディトリアル、そして華道に出会いました。華道というのは日本古来の花の芸術であり、それまで親しんでいた美術に通じるものを感じ取ったのです。

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